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エッセイ「そして人生はつづく」#1『アルバイトはつづく』

『携帯電話の料金を払い忘れても、部屋が荒れ放題でも、人付き合いが苦手でも、誰にでも朝日は昇り、何があっても生活はつづいていく。ならば、そんな素晴らしくない日常を、つまらない生活をおもしろがろう!』

引用:『そして生活はつづく』著者:星野源 文春文庫

 みなさまはじめまして。どこかのしがない学生です。上の文は、高校生の頃大好きだった星野源さんのエッセイ「そして生活はつづく」という作品の一節です。本エッセイはこの作品に影響を受けて、日々の暮らしの中で起こったことを面白おかしく、時には真剣に書いてしまおうという、そんなエッセイです。

※身バレ防止の為、筆者に関する情報はあまり出さないように工夫して書きますので、ご了承ください。

  それでは少しの間お付き合いください。

 

『アルバイトはつづく』

 

  皆さんが働きだしたのはいつですか?

  私が仕事をし始めたのは中学生の頃。実家の仕事を手伝い始めたことが私の中での仕事の始まり。高校生になってからはより本格的に働き始めた訳であるが、言ってしまえば家族同士での仕事である。怒られてもいつもの事と思って割り切れてしまう。ただ、全くの他人様と働く一般的なアルバイトではそうはいかない。家族に怒られるよりも他人に怒られた方が数倍心に来てしまう。そんなこともあり、初めて外で始めたアルバイトは長続きしなかったことを覚えている。ただ、全く知らない他人様に怒られるという経験は、見知った学校の先生に怒られたり、親に怒られたりすることよりも、自分自身の経験値として大きな収穫があった感覚がある。

  よく父親に言われた言葉がある。『他人の釜の飯を食え』と。意味合いとしては、肉親から離れ、他人に囲まれた中で揉まれてようやく一人前として認められるという意味である。私自身意図せずにこの言葉を実践していたのだろう。その後学生時代の間に3つの場所で働くことになったが、どの職場も最初のバイトの時のように辞めた経験はなく、どこでもやり切った感覚を持った上で次のステージに進むことが出来た気がする。この経験は自分自身をより強くしてくれた気がする。

  話は変わるが、この前2年半ほど勤めたアルバイト先を辞める決断をした。理由は至ってシンプルで、就職で地元を離れる前にやりたかった仕事を経験してみたかったからである。地元を離れるまでの期間にして半年と短いが、このタイミングで始めないと雇って貰うことは出来ないと踏んでの決断であった。元のアルバイト先の皆さんは本当に優しくて、やめないで欲しいと有難いお言葉もいただいたが、それ以上に自分自身の決意は固く、無理を言って辞めさせていただいた。決断してからは、私の意思を尊重してくれたこともあり、最後は笑顔で送り出してくれた。

  新しい職場は、高校生の頃に経験のあった業種だったこともあり、すんなり慣れることが出来た。ただ、1から物事を始めるということの厳しさを今改めて感じている。この経験も将来の自分への糧に出来ればと思う。

  ただ、1つ不安なことが起こった。元のバイト先で私の後釜に採用された学生の子が初日から飛んでしまったそうだ。この話を聞いた時申し訳なさが込み上げたが、同時になぜ?という感情が純粋に沸いた。わざわざ面接にまで来て初日から飛ぶことの意味が分からなかった。勿論、初めてのバイト先に行く時は誰しも緊張もするし、帰りたいと思う気持ちも分かる。ただそれ以上に不可解でもあった。

  とはいえ、私は今となっては別の職場の人間である。そちらの問題に干渉することはもはや出来ない。昨今新卒入社した社員が入社してすぐに退職するという流れや、それに関連して派生したサービスが流行しているが、この問題とも近いものを持っているのだろうか。

  そんなことを考えても埒が明かないので、私は今日とてバイトに向かう。人は生きていく為に働かなければならないのだから。