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エッセイ「そして人生はつづく」#2『郷愁はつづく』

 星野源氏のエッセイ『そして生活はつづく』に影響を受けた本エッセイ『そして人生はつづく』早くも第2回です。今回は、これからの未来を担う高校生と触れ合い、在りし日の思い出に耽ることになった筆者の1日のお話です。

 ※身バレ防止の為、筆者に関する情報はあまり出さないように工夫して書きますので、ご了承ください。

  それでは少しの間お付き合いください。

 

『郷愁はつづく』

 

 皆さんは、楽しかった中高生時代を思い出すことはあるでしょうか?

 私はつい最近思い出す機会があった。現在所属している大学での活動の一環で、先日とある高校にお邪魔させていただいた時のことであったが、自分よりも一回り年下の高校生達と実際に交流させていただいたのだが、あまりにも若い。若すぎる。

 私も現役の大学生ではあるのだが、高校生の若々しさには到底及ばない。その身体から解き放たれるエネルギッシュなオーラは、一回り年上の大学生にはきつすぎる。ただ、何年かぶりの高校という場所は、実際に通っていない高校であったとはいえ、様々な思い出を蘇らせてくれた。高校時代の友達や、楽しかった学生生活、進路を決めるときに悩んだ思い出。忘れていた何かが自分のなかで形作られていくのが分かった。

 高校時代を思い出している際、1年前に高校の時に仲が良かった3人組で卒業以来ぶりに会って、遊びに行った時のことを思い出した。その当時は大学でも上手く行かないことが多くて、悩ましい時期を送っていたのだが、久しぶりに会う友達との遊びは、全てを忘れさせてくれた。私だけじゃなく、友人2人もそれぞれに悩みを抱えていたのだが、赤裸々に語り合い、夜を明かしたことで、失われた絆が再び紡がれていく感覚を感じた。帰りに高校の時のようなLINEグループを作って、また頻繁に会おうと約束をした。

 その2日後、友人の1人がLINEグループから抜けて消息を絶った。どうやら個人LINEもブロックされているようで、気づいた時には成す術がなかった。あんなに楽しかったのになんで…。と、自問自答する日々。もしかすると自分だけが楽しかっただけだったのではないだろうか。私の高校時代の絆を取り戻す物語はそこで終わりを告げた。

 やはり、高校時代の思い出はあくまで高校時代の時の話であって、今とは違うのだろうか。今から高校時代の思い出をなぞるように生きるのは野暮なのであろうか。今を生きる者にとって、いつまでも昔の思い出に浸るのは、今の生活の妨げになってしまうのであろうか。

 そんな1年前の話が脳裏によぎる中、現役高校生との交流は始まった。みんな生き生きとした目をしている。そんな明るい雰囲気に、荒んだ心も晴れていく感覚を覚えた。この子たちはこれからどんな人生を歩んでいくのだろう。無限の可能性を持つ若き力は、どこまでも高く舞い上がっていくことだろう。

 そんな高校生たちにあてられた私は、音信不通になった友人との再会を心に決めた。高校時代の共通の知人に声をかけ、連絡をもう一度とることを目指した。これは単なる私のエゴなのかもしれないが、もし気に障るようなことを言ってしまっていたのなら、もう一度会って謝りたい。また、馬鹿なことを言って笑いあいたい。もし何かに悩んでいるのであれば、一緒に解決してあげたい。

 昔の楽しかった思い出に浸って、郷愁に耽り、今という現実に背を向けてしまいたくこともある。ただ、昔の思い出は今も心の中にあって、今の自分の支えとなってくれているという考え方を私はしていきたい。